ありがとう ロングセラー 45刷
こころのおそうじ。(だいわ文庫)
たかたまさひろ(著)
定価 770円(税込)

イライラ、ムカムカ、カリカリ…自分の気持ち持て余していませんか?読むだけで嫌な気持ちがなくなります

No.020『自分に正直になろう』

やくざは、乱暴な言葉で他人を脅し、暴力で自分の強さを誇示しようとします。
しかし、やくざのような人間を、誰も「真に強い人」だとは思わないでしょう。
彼らは、つまるところ、「そこまでしなければ自分を守れない臆病な人間」なのです。
自分に自信があるのなら、他人の前で強がる必要などありませんし、自信がないのなら、いくら虚勢を張っても意味のないことです。

虚勢を張ってしまう人は、自分で自分を受け入れられない人です。自分の心が頼りないから、他人の評価ばかりを気にするのです。
偽りの自分を演じながら、弱点を見抜かれることを怖れ、つねに不安にさいなまれながら他人と接しています。

人間にとってもっとも不幸なこととは、他人に傷つけられることでも、不慮の災難に見舞われることでもありません。
自分の弱さから目をそむけ、自分自身をごまかしながら、ただ虚しさの中で生きていくことこそが、最大の不幸です。

自分に自信がない人は、「自分は価値のない人間だ、悪いのは自分だ」という言い方をします。
しかし、本心ではそう思っておらず、悪いのは他人だと思っており、自分を認めてくれない他人に対して激しい憎しみを感じています。
それがみにくい感情であることは判っているので、あからさまに口に出すこともできず、巧妙にごまかしているだけなのです。
ごまかし、言い訳をしながら生きている自分にますます嫌気がさし、自己嫌悪は深まっていきます。
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No.021『批判に耳を傾けよう』

大御所といわれる高齢の俳優が、テレビで語っていました。
「もう私のまわりには、私を叱ってくれる人間がいません。とても淋しいことです」
また、あるビデオ女優は、その職業を選んだ理由を訊かれて、
「みんなちやほやしてくれて、わがままを言っても叱られないから」
と答えていました。

他人から批判されることは、誰にとっても気分のいいものではありません。
しかし、人間なら誰にでも、何か欠点はあるはずなのです。面と向かって言われなくても、心の中では批判されているのですから、同じことです。

「誰も自分のことを相手にしてくれない」と嘆いている人は、自ら「相手にしにくい雰囲気」をつくり出していないかを反省してみてください。
批判されると猛烈に反抗したり、すねて相手を無視してしまったりしていると、他人から「この人には、何を言っても仕方がない」と思われてしまいます。

批判をまったく受けつけず、いつもご機嫌を伺っていなければいけない人と付き合うのは、とても疲れるものです。そういう人は、やがて誰からも敬遠されてしまうでしょう。
他人から批判されなくなってしまったら、終わりです。誰も自分のことを真剣に考えてくれていないということなのです。褒められることも、認められることもありません。
批判されたときには、腹を立てる前に、まず「自分のためになるのでは」という気構えをもって対応したいものです。
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No.022『心に安らぎをもとう』

痛みという感覚は、苦痛ですが、人間がけがや病気を察知するために絶対に必要なものです。
痛みがなければ、人間は自分の体をいたわることを忘れ、結果として寿命を縮めてしまうことになるでしょう。
痛みとは、人間を苦しめるためではなく、少しでも長く生かすために与えられたものなのです。

不安というものも、人間が将来に起こりうる危険を予測し、回避するために必要な能力です。
しかし、人間の心を苦しめるのもまた、この不安です。
不安はまさに両刃の剣です。不安をうまく活用するか、不安に負けてしまうかが、その人の人格を大きく左右します。

他人とうまく付き合えない人は、不安が強すぎる人です。
好きな人ができても、「人を愛する喜び」を感じる前に、「嫌われたらどうしよう」ということを考えてしまいます。
そういう人は、「相手を喜ばせることをしてあげなければ、自分は受け入れてもらえない」と思い込んでしまっています。

もちろん、他人が喜ぶことをしてあげるのは、いいことに違いありません。おおいにすべきです。
しかし、それは純粋に喜びのためにするのであって、「喜ばせなければ不安だから」という理由でするのでは、意味がありません。
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No.023『与える側に回ろう』

もし、あなたがお金に困り、心に余裕をなくしているなら、持っているお金のほんの一部でも、慈善団体に寄付してみてください。
もし、あなたが信頼していた人に裏切られて人間不信に陥っているなら、地域のボランティア活動などに参加して、無償で人のために尽くしてみてください。
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No.024『考え方の癖を直そう』

自分の性格を直したいと思っている人はたくさんいることでしょう。
性格というものは直らないのだ、と最初からあきらめてしまっていませんか。
性格とは、考え方の癖であるといえます。
悲観的な性格の人は、何でもものごとを悪い方に考えてしまう癖がついている、あがり症の人は、人前に出るとすぐに、恥をかいたらどうしようと考えてしまう癖がついているのです。

人間は、安定を求めるようにできていますので、自分の行動をパターン化しようとします。
さまざまな局面にぶつかったとき、そのたびに一から対処法を考えていては疲れてしまうので、「こういう場合にはこうする」と、自分なりのパターンを決めてしまうのです。
行動や思考のパターンを習慣化して、安定を図ることで、人間は安心します。
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No.025『正しい方向を見極めよう』

あるサラリーマンが、リストラにより会社を退職させられることになりました。
彼には、妻と、高校受験を控えた娘がいました。マンションのローンも残っています。再就職先を必死で探しましたが、なかなか見つかりません。彼は、心身ともに疲労しきってしまいました。
妻と娘は、「がんばって、がんばって」と父親をずっと励まし続けました。
そしてついに、彼は、次のような遺書を残して自ら命を絶ちました。
「申し訳ない。もうこれ以上、がんばれない」
誰にも悪意はないのに起こってしまった悲劇でした。

落ち込んでいる人に向かって、「がんばれ、がんばれ」と励ますのは、ますますその人を追いつめることになってしまいますので、注意が必要です。
一般に、ジョギングをすることは、健康にいいことですが、それはもともと体が健康であるときにかぎります。

病気で寝込んでいる人を叩き起こして、「健康のためにジョギングをしろ」という人はいないでしょう。
心の健康についても、同じことがいえるのです。
心が病んでいるときは、ゆったりと過ごし、快復を待つことを最優先させなくてはなりません。心が健康になってから、がんばればいいのです。

生真面目で神経症的な性格の人は、必死で自分に「がんばれ」「強くなれ」と言い聞かせ、けな気に努力しています。
そういう人たちの「努力」とは、たいていの場合、自分の生きがいのためではなく、他人に見捨てられたくないという不安によるものです。
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No.026『上手に甘えよう』

子供のころに親に充分に甘えさせてもらえなかった人は、大人になって人格にさまざまな問題が生じてきます。
「もっと甘えさせてもらいたかったのに」と、心にしこりを残しながらも、大人になれば甘えは許されないのだ、という葛藤に苦しみます。
その結果、甘えたい欲求の反動で、他人に心を閉ざしたり、攻撃的になったりしてしまいます。

しかし、人間は誰でも、他人に甘えながら生きているのです。
甘えることは恥ずかしいことではありません。甘えを自覚していないことの方が、よっぽど恥ずかしいことです。
「甘える」と言っても、恋人同士が猫なで声でじゃれ合うのとは、少し意味が違います。
大人としての責任や義務を放棄して権利ばかりを主張する、いわゆる「甘ったれる」のとも違います。

ここでいう「甘え」とは、「他人と互いに依存し合って生きているということを自覚する」ことです。
人間は誰でも、他人との関わり合いの中で生きがいを見出して生きています。
無人島で一生ひとりぼっちで生きていかなければならないとしたら、何の喜びも感じられないでしょう。
人は、他人に依存しなければ生きていけないのです。

暴走族は、決して街外れの人のいないところで暴走行為をしたりしません。必ず、人の目に付くように行います。
社会に背を向け、世間を敵に回すのであれば、自分たちだけで好きなように生きていけばいいものを、結局はそれだけの強さもなく、社会との関わりの中でしか自己を認められないのです。
他人に迷惑をかけることで、姑息な優越感を得ています。すなわち、大いに他人に依存し、甘えているのです。

妻に暴力を振るう夫も、甘えています。
普通、赤の他人に暴力を振るえば、警察に捕まり、罰せられます。妻だから許してくれる、と甘えているのです。
許されることで、自分が受け入れてもらっているという錯覚を起こしています。
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No.027『感情を自覚しよう』

すぐにカッとなる、人前であがってしまう、など、自分の感情をうまくコントロールできずに悩んでいる人も多いことでしょう。
不快な感情の代表格は、「怒り」と「羞恥」です。
これらの感情をコントロールできない人は、人間関係において意図せぬトラブルを生み、自己嫌悪に陥ってしまいがちです。

なぜ、自分の心が、自分のいうことをきかなくなるのでしょうか。
実は、感情は、無理に抑えようとすればするほど、よけいに抑えられなくなってしまうものなのです。

怒りっぽい人は、他人に腹を立てたとき、心の中では、次のようなメカニズムが働いています。
1) 腹を立てるというのは、醜い行為だから、抑えなくてはならない。
2) いや、悪いのは相手の方なのに、なぜ自分が反省しなくてはならないのか。
3) 自分をこんなに怒らせた相手が憎くて仕方がない。
この悪循環で、ますます怒りがおさまらなくなってしまいます。
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No.028『逆境を味方につけよう』

仮にあなたが、残り数年の命だと医師から宣告されたとします。
あなたは、悔いを残したまま死にたくないと、ずっと片思いだった女性に勇気を出して愛を告白しました。
彼女は、あなたの命が長くないことを知って、残された期間を最期まであなたとともに過ごしたいと言ってくれました。
彼女は毎日病院に看病にきてくれて、かいがいしくあなたの世話をしてくれます。
ついには、結婚してほしいとまで言ってくれました。

その時、もしあなたが億万長者なら、「彼女はどうせ、私の遺産が目的なのだ」と疑わざるをえません。そして、そんなことを疑う自分にも嫌悪感を抱いてしまいます。
あなたは、「自分が貧乏であったなら、彼女の愛を素直に信じられたのに」と悔やみましたが、後の祭です。

お金を儲けることが幸せだと信じて必死で働いてきましたが、結局、お金は最期の最期に本当の幸せをもたらしてはくれませんでした。
「お金がなくても幸せ」でなければ、いくらお金があっても、幸せにはなれません。そして、お金がなくても幸せならば、必要以上にお金を手に入れる必要はないのです。
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No.029『深刻に考えすぎることをやめよう』

今、目の前に自殺を図ろうとしている人がいるとしたら、あなたは何と声をかけるでしょうか。
「かけがえのない命を粗末にしてはいけない」
「生きていれば、必ずいいこともある」
「死ぬ勇気よりも、生きる勇気をもて」
などというのは、よく聞く言葉です。

しかし、これらの言葉は、どこか高いところから見下しているような尊大さを感じさせます。
そんなことは、わざわざ言われなくても、誰でも判っていることです。判っているからこそ、苦しんでいるのです。
相手は、かえって自分が責められているように思い、「どうせ私の苦しみなど、誰も理解してくれない」という反発を招いてしまうのではないでしょうか。

生きることに絶望してしまった人は、決して人生を粗末にしているわけでも、努力を怠ったわけでもありません。
むしろ、あまりに「人生を重大視しすぎてしまった」のです。
自分というものがあまりに大切だから、些細なことを気に病み、思い通りにならないことに苦しんでいるのです。

芥川龍之介は、「人生は一箱のマッチに似ている。重大に扱うのはばかばかしい。重大に扱わなければ危険である」と言いました。
自殺を考えるほど追い詰められた人にとって、本当に必要な言葉は、「重大に扱うのはばかばかしい」という部分でしょう。
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