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No.150『ありのままの欲求に従う』

心の安定には、「独立性」と「順応性」のふたつが必要です。
精神が独立しておらず、他人に依存ばかりしている人は、つねに他人の賞賛を求め、承認がえられなければ激しい不安に悩まされてしまいます。
また、まわりに順応できない人は、頑固で融通がきかず、他人と衝突しても自分の主張を譲ろうとせず、孤立してしまうことになります。

「独立性」と「順応性」は、相反することのように思われそうですが、これらは、互いに深く関わり合っており、両立しうるものです。
独立している人だけがまわりに順応することができ、また、順応ができなければ独立することもできません。
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他人に言いたいことがはっきり言えず、ストレスをため込んでいる人は、「独立」と「順応」を秤にかけ、どちらか一方を選ばなければならないと考えているのではないでしょうか。
他人から嫌われることを覚悟ではっきりと自己主張をするか、自分を押し殺して迎合するか。どちらを選んでも、心の安定はえられません。どちらも間違っているのです。
確固として独立し、なおかつ柔軟に順応できる道を探らなくてはなりません。

人間は、誰でも欲求をもっています。その欲求が他人とぶつかり合ったとき、心の葛藤が生じます。
しかし、欲求そのものが悪いのではありません。
欲求を捨て去ってしまえば、意志も向上心もないのっぺらぼうのような人間になってしまうだけです。

多くの人を苦しめているのは、「他人からの承認を得たい」という欲求でしょう。
他人から認められたいと願うのは、人間として自然なことです。それが、自分を磨こうとする意欲、恥ずかしくない行動をとろうという責任感となります。
しかし、他人からの承認を得ること自体を目的とするのは間違いです。
他人からの承認を頼りに生きても、それは、しょせん他人の人生を生きることにすぎないのです。
冒頭に挙げたように、自我を独立させることと、うまくまわりに順応することが必要です。

「独立」と「順応」の鍵となるのは、「自発性」でしょう。
欲求があるかぎり、誰にでも自発性は備わっているはずです。
いくら強く生きようと自分を鼓舞しても、強迫的な義務感にかられているだけなら、いたずらに精神を痛めつけるだけです。
いくら自分をまわりに順応させようとしても、拒絶されることの不安から逃れるためだけなら、それは順応ではなく、服従です。

刃物は料理にも使えますが、人を傷つける凶器ともなります。刃物自体が問題なのではなく、それをどう使うかということが問題なのです。
欲求に苦しんだなら、自ら欲求をコントロールし、うまく利用してやろうと考えればよいのです。
まず、静かに自分の欲求と向き合ってください。
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欲求とは、本来、自分を活かすために与えられたものです。
なぜそうしたいのか、ということを自問してみてください。怒りに苦しみたいわけでも、不安に悩みたいわけでもないはずです。
自分の心の奥深くに光を当ててみれば、尊き自分への愛しみ、侵しがたい誇りが見えてきます。

人間はもともと、悪よりは善を、偽よりは真を、醜よりは美を求める本能的な欲求があります。
欲求とは、成長しようとするエネルギーであり、それ自体はすばらしいものなのです。
自己嫌悪に陥ったり、嫉妬に苦しんだり、欲求が自分を苦しめるのであれば、怖れや不安などによってゆがめられているのです。

欲求は、すぐにかなうものばかりではありません。簡単に手に入るものであれば、欲求として意識することもないでしょう。
たとえかなわなくても、自分には欲求をありのままに自覚する権利があるのだと、自分の気持ちを尊重し、大切に温めてやればよいのです。それが、自分を大切にするということです。
自分の気持ちを大切にすることができれば、必ず他人からも大切にしてもらえます。

つらいからといって、やけをおこして、ふてくされたり、他人を責めたりすれば、かえって自分の首をしめることになります。
むしろ、苦しいときこそ、人間の真価が問われるときです。
生きる意味は、往々にして、悩みや苦しみの中から見出されるものなのです。
どんなにつらいときでも、「自分を認めること」だけは放棄してはいけません。
(おわり)

ありがとう ロングセラー 45刷
こころのおそうじ。(だいわ文庫)
たかたまさひろ(著)
定価 770円(税込)

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メッセージ No.150-159
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