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たかたまさひろ(著)

No.180『欲求と不安』

人間が活き活きとした充実を感じられるのは、自分の素直な欲求にもとづいて行動しているときです。
しかし、欲求は、うまくコントロールしなければ、ともすれば自分でも手に負えないほどに肥大化してしまうものです。
節操もなくむさぼろうとする心が、かえって自分を貧しくしてしまいます。

暇なとき、仲のよい友人や恋人とメールのやりとりをするのは、楽しいことです。
しかし、「メールを送ったのになかなか返事がこない」「長いメールを送ったのに返事が短かった」などと腹を立ててしまっては、いったい何のためのメールか判りません。
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そもそもメールとは、わざわざ会ったり電話したりして話すまでもない用件を伝えるための補助的な連絡手段にすぎません。
メールの返事がこないからといって腹を立てたり、不安になったりするのは、ふだんの相手との相互理解が足りないからです。
自分は相手を理解しようともせず、メールという安直な手段で相手に自分の気持ちを察することを求めても仕方がないのです。

対人関係の苦手な人ほど、メールに依存し、他人との直接対話を避けてしまいがちです。
しかし、メールのやりとりで細かい心のうちを理解し合うことは、面と向かっての対話よりもはるかに難しいことです。
そして、メールでうまくコミュニケーションがとれないことから、ますます他人の気持ちが判らなくなり、直接向き合うことが怖くなるのです。

単に不安をごまかすため、見栄をはるための欲求は、たとえ満たされたとしても、ほんの一時的に気が紛れるにすぎません。
それどころか、いずれ欲求はひとり歩きし、目的を見失って欲求のための欲求となり、不安という形になって自分を支配するようになるのです。

かなわぬ欲求に苦しめられたときは、「いくらその欲求を満たす努力をしても、けっして問題は解決されないのだ」という事実を冷静に、はっきりと認めなくてはなりません。
「強くはなれなくても、賢くなろう」と心に決めれば、気分も楽になります。
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欲求を抑えることは、「我慢する」ことではありません。
「我慢」とは、我に慢心すること、すなわち「私はもっと恵まれてしかるべき人間なのに」とおごり高ぶることです。
いくら「我慢」しても、欲求は抑えられないのです。

何かに行き詰まり、不安や怖れで心がいっぱいになったときには、必死に乗り越えようとするのではなく、「こだわらない」ことが重要です。
「この問題を解決しなければ、私は幸せになれない」とこだわっているうちは、視野を広くもつことができず、自分のことしか考えられなくなり、ますます事態を悪化させてしまうことが多いものです。
一度その問題から離れて、「どうでもいい」とバカらしく思えるまでに客観視してみることです。

といっても、問題と向き合うことから逃げるのではありません。
真剣に突きつめて考えれば、人生に起こるほとんどの問題は、「どうでもいい」という結論にたどり着くのです。
「どうでもいい」という表現に語弊があるならば、「ほかにもっと大切なことはたくさんある」といい換えてもよいでしょう。

自分を大切にすることと、自分に執着することは、まったく対極の行動です。
自分が傷つきたくない、自分が恥をかきたくない、自分が得をしたい、自分を認めてほしい……。そういう欲求への執着を捨てれば捨てるほど、不思議なことに、そんな自分に自信がもてるようになり、自分を大切にできるようになります。

自分のことばかり考えている人はわがままですが、自分を大切にしている人はけっしてわがままではありません。
自分を大切にしてはじめて、他人を愛し、自分を犠牲にして他人に尽くすこともできるのです。
(おわり)

ありがとう ロングセラー 45刷
こころのおそうじ。(だいわ文庫)
たかたまさひろ(著)
定価 770円(税込)

イライラ、ムカムカ、カリカリ…自分の気持ち持て余していませんか?読むだけで嫌な気持ちがなくなります
メッセージ No.180-189
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