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No.186『好きという言葉に責任をもつ』

ときどき、「好きな人の気持ちが判らない」「恋人のことが好きなのに、疑ってしまう」という悩みを耳にします。
しかしこういう場合、「好き」という言葉があまりに安っぽく、無責任に感じられてなりません。
裏を返せば、愛という美名のもと、「相手は私の思い通りになるべきである」という要求を正当化しているということです。
本当は「好き」なのではなくて、「好きになってほしい」だけなのではないでしょうか。
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強い劣等感をもっている人は、その反動として、「すばらしい恋人が現れて、自分の人生を一変させてくれるに違いない」という絵空事のような理想を描くことがあります。
しかしそのようなことはまず起こりえませんので、現実から目をそらすために、自分の恋人が理想的な人間であるかのように思い込もうとするのです。

恋人から精神的、肉体的に傷つけられ、悩み苦しんでいるのに、「いいところもあるし、優しいときもある。好きだからなかなか別れられない」という人がいます。
本当は恋人を軽蔑しているのに、その気持ちを必死で心の奥に閉じこめているのです。恋人がろくでもない人間であるということを認めてしまえば、そんな相手しか選べない自分も同様につまらない人間だということを認めざるをえないからです。
恋人を愛しているのではなく、自分のプライドを守るために、「すばらしい恋人に愛されている自分」という虚像を愛しているだけなのです。

また既婚者と不倫の恋に落ちる人も、相手が現に配偶者を裏切っているのに、「私にだけは誠実に対応してくれるはずだ」という都合のよい幻想を抱いています。
本当に誠意のある人ならば、きちんと離婚をしてから付き合ってくれているはずなのです。

仮に不倫相手が本当に自分を愛してくれていたとしても、二股という形で付き合い始めたという事実をもって、無責任で意志の弱い人間であるということは充分に証明されているわけです。
それを承知の上で、そんな人のことを「好き」だというのなら、後で裏切られたといって相手の不誠実さをなじってはいけません。
相手に誠実さを求めるのであれば、誠実な付き合いから始めるべきなのです。
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他人の欠点に目をつぶり、長所に目を向けるということは、たしかに大切なことです。
しかしそれは、自分に都合の悪い現実から目をそらすということではありません。
他人の欠点は欠点としてはっきりと認め、その上で受け入れるのでなければ、他人を尊重していることにはならないのです。

「相手の気持ちが判らない」というのは、「自分の気持ちを理解してくれない」という不満であり、「相手を信じられない」というのは、「なぜ自分をもっと尊重してくれないのか」という不満です。
好きな人の気持ちを少しでも理解したいと願うのは当然のことですが、それは自分にとっても喜びであるはずです。自分の思い通りにならないといっていら立つのは、愛情とは呼べません。

恋人に何を求めるかということは、人それぞれ違います。
自分が最低限求めるもの、譲れない部分をはっきりさせておく必要があります。
条件を増やせば、それを満たす恋人が見つかる確率は小さくなりますが、それも自分の判断なのですから仕方がありません。
そして、譲れない部分以外の欠点は、譲れるのですから気にすることはないのです。

どういう人を好きになり、どういう人間関係を選ぶかということが、そのまま自分の価値観を反映します。
ある人のことを「好き」ということは、「自分はそういう人を好きになるような価値基準のもち主である」ということを意味します。少なくともその相手は、自分が最低限求めるものを満たしているということなのです。
「好きな人のことが理解できない」というのは、矛盾した言い方です。
相手への共感、尊敬、信頼があってはじめて、「好き」という言葉を使うことができるのです。
(おわり)

ありがとう ロングセラー 45刷
こころのおそうじ。(だいわ文庫)
たかたまさひろ(著)
定価 770円(税込)

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メッセージ No.180-189
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