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No.224『幸福な人生を選ぶ』

恋人や友人に嫌われてしまった。私は相手に気を遣い、優しくしてあげていたのに。裏切られたことが悔しくて、悲しくて仕方がない。
そういうときは、こう自分に問いかけてみましょう。
「私は、人に認められて当然だという顔をしていなかったか」

他人から愛されるような人間になりたいと思うのは、当然のことです。しかし、実際に他人に自分を「愛させる」ことはできません。
自分にできることは、「愛される人間になるよう努力する」というところまでです。その限度を超えて、他人の心を操作しようとしたから、反発を受けたのです。
腹が立って仕方がないのは、自分のその浅ましさを認めるのが怖いからです。
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幸福も不幸も、すべては自分の選択の結果なのです。
もちろん、人生には、思い通りにならないこともたくさんあります。他人の心は思うままになりませんし、不慮の災難に遭うこともあります。
しかし、それらをどう受け止め、どう対処するかということは、自分が選択することです。
不幸とは、「何が起こったか」によって決まるのではなく、「それをどう受け止めたか」によって決まるのです。

互いに気心が知れていると思っていた友人や恋人が、実は自分とは違う考え方をもっていたということに気づいても、驚くことはありません。
人それぞれ考え方が違うのは当然のことで、それに気づいたということは、本性をつつみ隠さずさらし出し合ったということなのです。
それを許せないと思うか、認め合おうと思うかは、自分が決めることです。

江戸時代の僧侶、良寛は、粗末で小さな庵に住んでいました。
ある夜、そこに泥棒が入りました。何も盗るものがなかったので、泥棒は仕方なく、寝ている良寛の布団をはぎ取ろうとしました。
「こんなせんべい布団をもって行こうとするということは、泥棒はよほど困っているに違いない。他人が欲しがるような物をもっている私は、何と恵まれているのだろう」
そう考えた良寛は、寝返りを打ったふりをして、わざと泥棒に布団を盗ませたそうです。

布団を盗まれたのは、泥棒のせいです。しかしそれを恨むどころか、逆に感謝の気持ちに転化させたのは、良寛自身の選択です。
泥棒がその後、悔い改めたかどうかは判りません。ただひとつ、たしかに言えることは、良寛の心は穏やかで幸せだったということです。
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他人を恨めば自分の心が荒れます。
「それは自分にとって損なことだから、やめよう」
他人の態度がどうであれ、そう自分の意志で決めることが、幸福な人生を選択するということであり、自分を大切にするということです。
「相手に謝らせなければ気がすまない」「私は悪くないのだから、相手が心を入れ替えるべきだ」などと考えるのは、よけいに自分を不幸に陥れることになります。

人間の価値は、他人からどう扱われるかによって決まるのではありません。
他人から尊敬されなくても、自分が他人を尊敬できる人間になりさえすれば、それでよいのです。
他人から感謝される人間よりも、他人に感謝できる人間のほうがはるかにすばらしいのです。
他人から愛されるかどうかは、自分では決められません。しかし、他人を愛するかどうかは、確実に自分で決められます。
幸福になるためには、自分で幸福な人生を選ぶしかないのです。

すべては自分の選択の結果であるということを認めるのは、はじめはつらいことのように思われるかもしれません。
悪いことは何でも他人のせいにして、他人を批判しているほうが楽なようにも思えます。
しかしそのままでは、これからもずっと「他人のせいで不幸な人生」が待ち受けているだけです。

自分の選択に責任をもつというのは、自分を責めるということではありません。「自分のせいだ、自分が悪いのだ」と過去を振り返ってくよくよすることではないのです。
過去のためにできることはありません。私たちにできることは、過去を認め、「これからどうすればよいか」を考えるということだけです。
よいことも悪いことも、過去の自分の選択の結果である。そう認めれば、「だからこれからも、自分で選びとることができるのだ」と自信をつけることができるのです。
(おわり)

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こころのおそうじ。(だいわ文庫)
たかたまさひろ(著)
定価 770円(税込)

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メッセージ No.220-229
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