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たかたまさひろ(著)

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たかたまさひろ(著)

No.231『人間関係は毎日、少しずつ』

異性を好きになったときは、「相手は私をどう思っているのだろう」「どうすれば私を好きになってくれるだろうか」と頭を悩ませるものです。
友人と付き合っているときは、「相手は私を信頼してくれているだろうか」「この友情はいつまでも続くものだろうか」ということが気になります。

他人の気持ちをくみ取ろうと努力するのは、人付き合いにおいて重要なことです。
優しさも思いやりも、「相手は何を望んでいるのだろうか」「どうすれば相手のためになるだろうか」と、他人の立場になって考えることから生まれます。
しかしときに、私たちは、「相手は私に興味がないのではないか」「嫌われてしまったのではないか」などと他人の気持ちばかりが気になって、いら立ったり落ち込んだりしてしまいます。
人付き合いが苦手な人の悩みは、「他人が何を考えているのか判らない」ということでしょう。
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「表面上は愛想よくしているけど、腹の中では私のことを嫌っているのではないか」「今は好かれていても、いずれ飽きられてしまうのではないか」と、他人の気持ちを勝手に想像して悩んでいては、きりがありません。
他人の気持ちを察することは大切ですが、完全に把握することはどだい不可能なのです。

仮に他人の心がすべて透けて見える機械があったとしたら、私たちは逆に、怖くて他人と付き合うことはできなくなってしまうでしょう。
人の心の奥底は互いに判らないものだから、私たちは気楽に人と付き合うことができるのです。

相手が表面上の愛想笑いをしているのだとしても、それは自分への気遣いなのです。相手も気まずい思いをしたくないから、不機嫌を露骨に表さず、愛想笑いをしてくれているのです。おかげで自分も気分を害することがなかったのですから、それでよいのです。
「いつか嫌われるかもしれない」のだとしても、今は好かれているのですから、今をぞんぶんに楽しめばよいのです。

人の気持ちがどう変化するかは、誰にも、おそらく当人にも判らないことでしょうし、気にしても仕方のないことです。
本当の友情や愛情とは、相手が変わることも認め合える関係のことです。

食べ物は、毎日少しずつ摂っていくものです。
「これから10年間、何も食べなくてもいいように食いだめしておこう」ということはできません。
「一生食べ続けられるかどうか判らないのに、きょう食べるのは無駄なことだ」という人もいません。
一度に食べ過ぎればお腹を壊してしまいますし、また、一日ぐらい食べなくてもすぐに死ぬというわけでもありません。
毎日、適量の食事をとり続けることの繰り返しが、長い命をつないでいます。
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愛情や信頼関係も、一日ごとに細く長くつないでいくものです。
「永久に愛され続けること」を保証することはできません。
愛されているからといって、いい気になってあぐらをかいていれば、いずれ関係は壊れてしまうでしょう。今、愛されていても、そうでなくても、これからも良好な関係を維持する努力を続けなければならないという点では同じなのです。

他人に愛されているかどうかを気にしてしまう人は、「私は愛されている」という充分な確信がえられなければその人との関係は始まらない、と考えているのではないでしょうか。
愛情も食べ物もお金も、はじめにたっぷり与えられて、後はただ消費していくだけのものだとしたら、おもしろくも何ともありません。
不足を感じてはそれを満たす、という繰り返しにこそ、よろこびや充実感があるのです。

「昔はあの人に愛されていたのに、今は愛されていない」と嘆くのは、古い食べ物を食べずにとっておいて、腐らせてしまってから、「昔はおいしかったのに」と言うのと同じです。
人は毎日、きょう食べられるものを食べていくしかありません。1年前の分を食べることも、10年後の分を食べることもできないのです。

きょう誰かとケンカをしたなら、明日は仲直りをするという楽しみができます。嫌なことがあって落ち込んだなら、これまで気づいていなかった小さな幸せに感動することができます。
自分も、他人も、それを取り巻く環境も、みな変わっていきます。事情が変われば、その都度自分も対応していけばよいのです。
先の判らない変化の中を生きていくからこそ、人生は楽しいのです。
(おわり)

ありがとう ロングセラー 45刷
こころのおそうじ。(だいわ文庫)
たかたまさひろ(著)
定価 770円(税込)

イライラ、ムカムカ、カリカリ…自分の気持ち持て余していませんか?読むだけで嫌な気持ちがなくなります
メッセージ No.230-239
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