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たかたまさひろ(著)

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No.300『進んで責任をとろう』

何事にもやる気をもてない人は、すぐに「どうせ自分が悪いのだ」と思ってしまう癖がついています。
恋人に浮気をされたことも、友人とケンカをしたことも、仕事がうまくいかないことも、何もかも「自分が悪いのだから仕方がない」と自分を責め、ストレスをため込んで、やる気を失ってしまうのです。

しかし、本当に「自分が悪い」と思うことができる人は、落ち込むどころか、前向きに、行動的になれるものなのです。
自分の人生に起こった問題について、「自分の責任である」と認めるためには、強い精神力が要求されます。それほどの高い自尊心をもった人であれば、謙虚に自分を見つめ直し、自分はどうすべきかを考え、問題を解決すべく新しい行動に移れるはずです。
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「どうせ自分のせいだ」と自分を責めて落ち込んでばかりいる人は、心の底から自分が悪いとは思っていないのです。
本当は他人が悪いと思っているのに、それを口に出せば、みにくい人間だと思われてしまう。自分を責めるのはつらいが、他人から嫌われるのはもっと怖い。
そうして自分の心をごまかし、自分に嘘をついていることが、ストレスの原因なのです。

だからといって、自分を責めればよいというのではありません。他人のせいにすればよいというのでもありません。
「誰が悪いのか」ではなく、「どうすればものごとがうまく運ぶか」を考えるべきなのです。
「自分は悪くないのに、不本意ながら自分を責めてしまう」というところから、さらに高い次元へと進み、「自分は悪くないのだが、問題を解決することを優先して、他人を立てておく」というのも、ひとつの方法です。

大岡裁きの有名な逸話として、落語にもなっている「三方一両損」という話があります。
ある左官が、3両の入った財布を拾い、落とし主の大工に届けました。
しかし、やせ我慢が江戸っ子の気質。大工は、いったん俺の懐から出た金は俺のものではないからお前にやる、と言って受け取りません。
左官のほうも、褒美がほしくて届けたのではない、と引き下がりません。
受けとれ、いや受けとらぬ、ともんちゃくの末、南町奉行・大岡越前守に裁決がゆだねられます。

越前が取りなしても、双方とも金を受け取ろうとしません。
「ならば、越前がこの3両を預かり、褒美として、金2両ずつを両名につかわす」
大工も左官も、3両懐に入るはずが2両になったのだから1両ずつの損、越前も自分の1両を差し出して1両の損、ということで、「三方一両損」と呼んで一件落着しました。

これは、理屈で考えるとおかしな話です。「三方一両損」ではなく、越前が1両の損をしたというだけの話です。
しかし、この越前を「みすみす損をした愚か者」だと笑う人がいるでしょうか。
この話の教えてくれるところは、「人間同士のもめごとは、実際に誰が得をした、損をした、ということではなく、互いが納得して面目が立てば、丸く収まるのだ」ということです。
越前は、町奉行の努めを果たすために、身銭を切ってでも争いごとを解決しようとし、ふたりの町民は、奉行の粋な取りはからいをありがたく承ったのです。
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争いごとを解決するためには、「誰が悪いのか」と犯人探しをするのではなく、もっとも高い立場にある人が、おおらかな心で譲ればよいのです。
「お前が悪い」と他人のせいにしようとしていた人も、相手に譲歩されてしまうと、逆に自分の卑しさが恥ずかしくなるでしょう。
他人に責任をなすりつけた者が強いのではありません。相手に譲歩する余裕をもっているほうが、精神年齢の高い大人なのです。

会社で、部下の失敗をかばって責任をとる上司は、部下から尊敬され、信頼されます。
そういう上司のもとで働く部下は、「そうだ、何もかも上司が悪いんだ」「今度もまた上司に責任を押しつけよう」などとは思わないでしょう。逆に、「上司に迷惑をかけないように、しっかり仕事をしよう」と思うはずです。
この上司にとって、自分が手柄を立てることよりも、部下たちにやりがいをもたせることのほうが重要なのです。

進んで責任をとろうとする人を責める人はいません。
上司は、部下がおかしたミスであっても、自分がその部下を監督する立場にあった、という点で責任があります。「高い立場にある」ということそのものが責任なのです。
「自分が責任をとる」ということは、敗北でも屈辱でもなく、ひとかどの人間として誇るべきことなのです。

いつも他人のせいにしている人は、責任をとらずにすむ代わりに、誰からも信頼されないという大きな代償を払うことになります。
他人のせいにするということは、自分の人生の主導権を他人に譲り渡してしまうということなのです。
誰が悪いのかということは、たいして重要ではありません。自分は悪くなくても、自分に関わりのあることは、自分の責任だと考えるほうがよいのです。

「他人に嫌われるのが怖いから、自分が悪いことにしてしまう」という消極的な態度はよくありませんが、「自分のほうが大人だから、自分が責任をとる」と主体的に考えることができれば、落ち込んだり自分が嫌になったりすることはないでしょう。
どうしても我慢がならないときは、そんな相手とつきあい続けるべきなのかどうかということもふくめて、すべては自分が決めることです。
(おわり)

ありがとう ロングセラー 45刷
こころのおそうじ。(だいわ文庫)
たかたまさひろ(著)
定価 770円(税込)

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メッセージ No.300-307
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